なんで男性の所得格差だけが問題なの?

<反貧困学習07>(2)ワーキングプアについて
51V7CRJTHWL__SL160_AA115_.jpg 昨年6月の段階で、「格差」を示すいいデータが見つからなかった。そこで使用したのが下記のデータであるが、それは男性の給与所得を比較したものだった。日本社会は男性間の所得に格差が出てきて初めて問題視するようになったとの指摘はその通りだ。逆に次の「シングルマザー」と繋がるデータとなった。また、ワーキングプアを語る際にどうしても避けられないのが「生活保護」の問題だ。ハリーポッターの著者の話は知っていたが、カーネルサンダースもそうだったのか。大田のりこ著大山典宏/監修「プチ生活保護のすすめ」より引用した。今年になって大山典宏は「生活保護VSワーキングプア」も出している。岩田正美「現代の貧困」でも指摘しているように、格差ではなく「貧困」が問題だ。正規雇用との比較で、S社の求人票と比較したが、実はこのS者は派遣社員も増やしているようで、派遣会社からもS者の求人票が届いた。それを指摘すると慌てて派遣会社はその求人票をもち帰ったが、コピーしておけばそれだけ派遣会社がぼったくっていたかがわかったのに惜しいことをした。しかし、社会学者の本田由紀も指摘しているように学校斡旋就職という日本独特の制度はもう破綻している。教材としてはイマイチ。今年は「ワーキングプアⅢ」からの教材に入れ替えている。

ワーキングプアについて 
 前回はバングラデシュで厳しい生活をしているストリートチルドレンのビデオを見ました。日本でも、最近(あ 格差)社会という言葉が表すように、お金持ちはどんどんお金持ちになり、本当に「しんどい」生活をしている人々の数が増えているのではないかと言われています。

 国税庁『民間給与実態統計調査』によると1992年と2002年の男性の給与所得者数を年収ごとに比べると、年収100~200万円はおよそ100万人から140万人に、年収200~300万円はおよそ255万人から310万人に増加しています。一方、年収2000万円超の給与所得者も増加傾向にあり、1992年の13万9千人から2002年は16万人に増えました。(データはNHK BSディベートアワー「広がる格差とどう向き合うか」 https://www.nhk.or.jp/bsdebate/0403/data3.html より)

 日本では(い 日本国憲法)で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む(う 権利)を有する」とされ、さまざまな事情でどうしても生活が厳しい家庭は(え 生活保護)を受けることができ、最低生活費が保障されています。
 海外の例ですが、世界的ベストセラーとなった(お ハリーポッター)の作者のJKローリングさんや(か ケンタッキーフライドチキン)で有名なカーネルサンダースさんも(え)を受けていたのは有名です。
 しかし、働くことができて、懸命に働いても「健康で文化的な最低限度の生活」ができない人たちが若い人々の中でも増え、最近社会問題となっています。この人たちや状態を(き ワーキングプア)とよびます。
        
 では、実際に日本で「健康で文化的な最低限度の生活」に必要なお金はいくらぐらいだと思いますか?夫婦二人で子ども二人の場合は(く 約30万円)シングルマザーで子ども二人の場合は(け 約23万円)とされています。

■では、計算してみましょう。時給800円のアルバイトを1日8時間やって月25日(週一回休み)働くと月いくら稼げますか?年収はいくらになりますか?
 800円×8×25=(こ 16万円)これに12をかけると、
年収は(こ)×12=(さ 190万)となります。
もちろん、病気で休んだらその分所得は減るし、さらに国民健康保険代を自分で支払わなければいけません。アルバイトやパートのような(し 非正規雇用)の場合は誰もがワーキングプアになる可能性が極めて高いのです。

■求人票(す 正規雇用)と比較しましょう
 これはS社という毎年、(せ 指定校求人)をくれている会社です。この春にも2人の先輩が就職しました。
 (1)何をしている会社でしょう?(そ 眼鏡レンズの製造)
 (2)休みはどれくらい?(た 週休2日さらに8連休。5連休で年間121日)
 (3)給料はいくらあるでしょう?
  (ち 手取131,318円)+(つ 手当3,238円+43,386円)=(と187,942円)
 (4)ボーナスはいくらあるでしょう?(2年目)
  (な 基本給132,380円)+(に 昇給3,810円)×5.25=(ぬ 約715,000円)
 これを年収にすると(ね 約300万)となり、(さ)と比べて100万円以上の差となり、しかも保険料は会社が払ってくれています。この差はどんどん広がります。

生きる力を持つ子どもたち

<反貧困学習07>(1)生きる力を持つ子どもたち ダッカのストリートチルドレン
16063a.jpg このVTRは2002年シャプラニール=市民による海外協力の会が制作したもの。映像の一部はシャプラニールのサイトから見ることができる。(http://www.shaplaneer.org/staffblog/cat31/cat32/)反貧困学習の1回目に位置づけた。貧困・親の離婚・虐待について「遠くから近く」を見ていく手法をとった。何よりも3人の女の子の話がいい。

生きる力を持つ子どもたち ダッカのストリート・チルドレン
(あ インド)の東隣りに位置するバングラデシュの首都ダッカは(い 1000万)人もの人がひきしめあう世界でも有数の過密都市。(い 路上)で暮らす子どもたちは(う 20万)人を越える。単に貧しさだけでなく、(え 両親の離婚)や(お 暴力)の問題から家を出て、(か 心の傷)を抱えたまま路上へ流れてきた。路上では(き 大人)にだまされたり暴力を振るわれたりすることが多い。日本とバングラデシュの(こ NGO)と呼ばれる民間の団体が、(さ ストリートスクール)と呼ばれる学校を開いたり、子どもたちが自由に立ち寄って、さまざまな活動を行える(さ ドロップインセンター)を運営して子どもたちを支援しています。

最後の3人の女の子が言っていたこと

ハシナちゃん
 「出かける時はこれできれいにするの。そうでないとみんながゴミ拾いの子って言うでしょ。路上に住んでいた時は読み書きも知らなかったし、周りからはイヤな子って言われてたの。ここに来てからはかわいがってもらえるから家には帰らないわ。だってお母さんは頭がどうかしているし、ご飯も着るものもくれないんだもの。将来は歌手になるの 歌うのよ 踊るのよ。」

ソニアちゃん
 「これは友達の分を預かってるの。大切なのはこの石けん。いい匂いがするから。身体を洗う時にはこれを使うのよ。また買わなきゃ。お医者さんになりたいの。人を治してあげれるし、お世話ができるから 具合が悪くなった人は助けてあげないといけないでしょう。」

ラッキーちゃん
 「これはこの子のくつなの この子はお友達だし妹だから大事なのよ これは食事に使うニガウリ。それから料理に使う香辛料。小さい頃にお父さんが死んでお母さんが再婚したの。家は貧しくてすごく大変だったわ。その頃はここに通いながら5時になったら家に帰っていたけど、新しいお父さんとの間にもう一人子どもができたからお母さんがどこかへ行ってしまったの。それからは生活がどうにもならなくなってここに住むようになったわ。仕事場が遠くなってあまり働けないけど、ここのみんなが助けてくれるの。私を食べさせてくれるの ご飯を作ったから一緒に食べようって言ってくれるの 路上で生活している時は汚い言葉でののしられたけど、ここでは誰もひどいことを言わない。私をとても大切にしてくれるの。ここに来て本当によかった。」

1.ビデオの中で、子どもたちはどんな仕事をしていましたか?

  くずバナナや鉄くず拾い(荷物運び・物売り)

2.ストリートスクールに来る子どもたちにとって、NGOは何が一番大切だと言っていましたか?

  大人に対する根強い不信感をもっている気持ちを和らげていくためのきめ細かい働きかけ


① 今日観たビデオを作成したNGOはビデオのタイトルを「生きる力を持つ子どもたち」としたのは、みんなに何を伝えたかったと思いますか。考えてみて下さい。

② あなたたちの中にもいろいろな経験をしてきた人がいると思います。もし、ストリートチルドレンだったら何が一番必要だと思いますか?感想も含めて書いてください。

見えない子ども

 一昨年観た映画で一番印象に残った「それでも生きる子供たち」からの教材化。(http://kodomo.gyao.jp/)この映画は7つの国の監督がそれぞれの国の「見えない子ども」を描いたオムニバス作品だ。原題は「All the Invisible Children(すべての見えない子どもたち)」 この中から、あの「マルコムX」のスパイク・リー監督の作品を選んだ。主人公の少女がこの後どう生きていくかを観客に考えさせるラストがいい。この教材の後に、ひとりひとりがいままでの自分を振り返った「パワーグラフ」につけた文章を紹介した。

生きること。 それは日々を告白してゆくことだろう

img1.jpg


 これは「15の夜」「I love you」「卒業」などの曲を遺し、26歳の若さでこの世を去った
(あ 尾崎 豊 )のお墓に刻まれた言葉です。

 1年間の最後に観てもらうVIDEOは昨年上演された映画「それでも生きる子供たちへ」の中の1作品「アメリカのイエスの子ら」です。舞台はニューヨークのブルックリンという(い アフリカ系アメリカ人 )が集まって住んでいる地域です。

 最後のシーン「私の名前はブランカ・・・」の後にどんなことを彼女は語ったでしょう?


 最後にブランカの親が彼女を連れて行った保健機関では、同じくHIVに感染した人たちが、自分のことを語り合っていました。あのような場を(う ピア・カウンセリング )といいます。(え ピア )とは仲間のことです。誰かが誰かの話を一方的に聞くのではなく、(お 対等な立場 )で自分のことを話し、仲間の話を聴く場です。ブランカがこれから生きていくのに何よりも「仲間」が必要だと思い、両親があの場に連れて行ったのでしょう。
 この1年間、皆さんが感じたことや考えたことを「感想文」として紹介してきました。それは、皆さんにもここで「かけがえのない仲間」に出会ってほしいからです。

NHKスペシャルを150本つくった人が語り継ぐこと

 川良浩和著「我々はどこへ行くのか」径書房の中で、著者は「私に師匠がいるとすれば、それは大阪の高校生です」と書いている。150本ものNHKスペシャルを制作したドキュメンタリストが原点と語り継ぐ「絆-高校生とヒロシマ」という番組は、大阪のN高校とヒロシマの被爆者とのひりひりとした交流が描かれている。この高校生たちとの交流がその後、30万人におよぶ修学旅行生を受け入れる語り部集団「ヒロシマを語る会」結成のきっかけを作ったのだ。番組と同名の本も古本で読んでみた。この交流は、高校生と被爆者が互いに閉ざされた心の傷をこじ開け、それに向き合う勇気を与え続けている。そして、その場面に同行した著者が「感動的な番組」を作るのではなく、「予断を持たず、見続ける」ことを高校生から教えられるのだ。この千載一遇の出会いが描かれた交流が、肝心のN高校では全く語り継がれていない。語りたくない多くの「事実」が当時の教師にはあったのだろう。しかし、語り継ぐべき内容もきっとあったはずだ。
R0011819.JPG 一方、五万日、語り継がれている話しがある。1871年の「解放令」が出された後、奈良県の岩崎村で大庄屋が阪本清五郎を呼び出し、「この前の解放令は、お上の都合で五万日の日延べ(延期)になった」と言われた話である。この清五郎は水平社創立メンバーである阪本清一郎の祖父にあたる人だ。そして、今年2008年9月3日が五万日目にあたるという。(50,000÷365.25=136.89年 1871年+137年=2008年 やっぱり合うわ!)この五万日語り継いできた人びとの想いに少しでも触れたくて、先日奈良の「水平社博物館」(http://www1.mahoroba.ne.jp/~suihei/)に行ってきた。向かいにある西光寺には、この五万日目を記念する碑が建てられていた。この話を五万日も語り継がせている現実こそが問題なのだと碑は訴えているようだった。

「ホームレス中学生」を教材に(2)

02906591.jpg「ホームレス」中学生を教材にの続きです。
シーン4 兄姉と離れ、ひとりでの公園生活(コミック版P22)
 家族解散宣言の後。田村くんは兄姉と離れて、ひとりで公園生活を始めます。なぜ、兄姉といっしょに行動しなかったのでしょうか?小説の中では、これが「唯一できる兄姉孝行だと思った」書いています。この公園で生活を始めたのは、水道があり、雨風を凌げる遊具があり、そして何よりも母との思い出に浸れる場所だったからでしょう。

シーン5 ホームレス生活での危険(コミック版P34)
 公園生活では様々な危険にあいます。まず、近所の子どもたちから「うんこのおばけ」と投石されたり、野犬からの脅威にさらされたりします。また、空腹から草やダンボールを食べてお腹をこわしたりしました。そんなときは、余計に孤独感が強くなり、亡くなったお母さんを思い出しました。しかし、お姉さんは見知らぬ男性に声をかけられたりともっと危険な目にあっていました。

シーン6 友人宅での生活(コミック版P144)
 たまたま街で出会った友人の家で泊めてもらえるようになります。食事があり、お風呂に入れる安全な場所です。そして、何よりも友人の家族に暖かく迎えられ孤独感から解き放たれ、人間関係を回復していきます。

シーン7 里親(続コミック版P26)
 いつまでも友人宅に世話になっていられないと兄が、姉と田村くんの2人を引き受けてもいいという里親を探してきます。田村くんは親が養育放棄をしたわけですから、ネグレクトという「虐待」を受けたのです。児童虐待には他に身体・性的・心理的虐待があります。児童虐待防止法では、虐待の可能性のある子どもを見つけた場合、周りの大人には児童相談所等に通告の義務を課しています。里親以外の選択としては児童養護施設があります。これは児童福祉法にもとづく施設ですが、現在大阪では空きがないのが現状です。日本ではストリートチルドレンを許さない社会体制になっているといえるでしょう。

シーン8 兄弟(姉)だけでの生活(続コミック版P56)
 里親での生活を拒否した田村兄弟に、友人の家族や近所の人びとが児童相談所とも連携して、生活保護を受けながら、兄姉と田村くんで生活できるように協力してくれました。生活保護というのは憲法25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を保障するための社会保障制度です。親がいたとしても事情で「最低限度の生活を営む」までの収入が得られない場合は生活保護を受けることができます。ただ、日本の場合は申請しないと受けられない仕組みになっているので、近所の人びとの助けがなければ自分たちでは申請できなかったかもしれません。

シーン9 恩人の死(続コミック版P124)
 西村さんは友人の家の近所の人で、友人のお母さんとともに母親代わりをしてくれた恩人です。その西村さんが亡くなった時、田村くん「その瞬間、お母さんの死を実感してしまった」「中学3年まで成長した僕が、いろんなことを経験して確実に大人に近づいていた僕が、ちゃんと現実を理解して、あの日以来、初めて泣いた」と書いています。お母さんを亡くした心の傷がずっと残っていたのです。

シーン10 恩師からの手紙(小説版P130)
 兄姉の支えもあって、高校に入学後も生きることに興味をもてなかった田村くんが、初めて自分の本心を話せる人に出会います。それが高校1年のときの担任でした。そして、人生の宝物になったという手紙をもらいます。「自分のことを好きだと言ってくれる」「自分の存在価値を見出してくれている」人との出会いでした。それは田村くんの人生に革命を起こした出会いでした。

蛇足 父は「ホームレス」になったのか?
 お父さんはその後どのような生活を送ったのでしょう?本当に多重債務者だったのでしょうか?その頃、お父さんは稼働年齢(64歳まで)だったので生活保護を受給できなかったのでしょうか?
コミック版のインタビューには「父が帰ってきてくれた」とありました。

「篤姫」よりもはまり役?

1740_img_1.jpg 阪本順治監督の「闇の子供たち」を観た。梁石日の同名の原作は出版当初から、NGO関係者では話題になっていた作品だ。まさかこれが映画化され、NGOボランティア役が宮﨑あおいさんとは。この映画はタイでの幼児売買春・人身売買を「人身売買大国ニッポン」の監督が「発狂するほどに責任を感じ」ながら製作した力作だ。宮﨑あおいさんが、この作品への出演オファーを受けたのは、これまでの彼女とNGOとの関わりからみても頷ける。私の所属するシャプラニール=市民による海外協力の会(http://www.shaplaneer.org/)  とは小学館から発行されている「たりないピース」の取材のためにインド・コクカタへの旅をコーディネートして以来のつきあいだ。この本の取材時には案内できなかったバングラデシュのストリートチルドレンの施設にも、毎日放送の「緊急提言スペシャル 未来の子どもたちへ~地球の危機を救うお金の使い方」で兄の宮﨑将さんと共に来てくれた。本の中でも番組の中でも彼女の瑞々しいコメントはとても好感がもてた。今回の映画のNGOボランティア役は本当にはまり役だ。もちろん「篤姫」でも破天荒なお姫様時代はぴったりだった。
 サザンの桑田の歌「現代東京奇譚」が流れる映画のエンドロールを観ていて驚いたのは、1983年に共にシャプラニールのバングラデシュスタディツアーのリーダーをしたSさんの名前を見つけたことだ。Sさんとはそれ以来会っていないが、その後ずっとタイのNGOと関わりながら活動を続けていると人づてに聞いていた。映画のパンフを見てみると、阪本監督とプロデューサーからこの小説の映画化への打診があったとき、彼女は反対したという。(彼女らしい!)しかし、どうしても映画を製作するならばと監督にいくつかの要望を伝えた。そしてその要望を「ほぼ」かなえてできあがったのがこの映画だ。ということは彼女もこの映画の共同制作者といえよう。
 一瞬の時間的なずれや満面すぎる笑みに観客に違和感をもたせ、それを伏線としてストリーの結末へと導く映像表現も見事だ。そして、何よりも「眼の力を失わない」子ども達の演技がいい。一昨年、フリー・ザ・チルドレン・ジャパン (http://www.ftcj.com/) の招聘でフィリピンから来たピアさんのことを思い出した。彼女については大月書店「フィリピンの少女ピア」に詳しい。彼女の受け入れプログラムの一部を担当したが、その時の受け入れは自分にとっても納得いかないまま終わった。今度はこの映画を「教材化」し、もっとその後の繋がりをもてるような受け入れをしたいと思う。

「ホームレス中学生」を教材に(1)

<反貧困>の視点で「ホームレス中学生」を教材化しませんか

02906591.jpg「ホームレス中学生」田村裕著 ワニブックス発行
 紹介もいらない程のベストセラーとなったこの本は、ドラマ化(先日放送されました。薬師丸ひろ子がお母さん!)され、今秋には映画化(田村くん役が大阪狭山市出身の小池徹平!)もされます。
 コミック版もヨシモトブックスから2冊「ホームレス中学生」「続ホームレス中学生」出ています。笑いあり涙ありの現代版「一杯のかけそば」的な本ですが、この作品を「反貧困」という視点で読むと、とても面白い教材になると思い私なりに教材化してみました。私は、「ストリートチルドレン」と「野宿者」とを繋ぐ教材として作成しましたが、「蟹工船」が再び読まれていることとこの本がベストセラーになることとは結びついているようです。
 教材は、コミック版から10のシーンを抜き出し(最後の手紙だけは小説版から)、時系列で並べてみました。(まず、ドラマや映画を見た後に各シーンを時系列に並べるワークもできると思います。)そして、そのときの時代背景も考えてコメントをつけてみました。

シーン1 母親の死(コミック版p130)
 田村裕さんは1979年生まれで、父(大手製薬会社課長)母・兄・姉の5人家族でしたが、小学校5年生で母親が直腸癌で病死します。そして、その2週間後に祖母(父方)も死去し、父子家庭となります。父子家庭となったしんどさは、父親の家事・子育て・近所つき合いの経験のなさからきました。もちろん、日本では母子家庭は経済的しんどく、平均年収212万円です。しかも、児童扶養手当が削減されようとしています。

シーン2 父親の病気からリストラ(続コミック版p64)
 1991年(田村さん小学校卒業時)に日本は「バブル崩壊」が起こります。急激な不況の中で企業がリストラを始めました。田村くんの父親は母親と同じ直腸癌となり入院し、会社を解雇されてしまいます。しかし、この解雇は正当だったのでしょうか?50代男性の再就職は本当に難しいのです。それで収入もなくなり、家も引越し、近所づきあいもなく孤立してしまいます。でも、大リストラが始まるのは2001年小泉内閣の「構造改革」からです。非正規雇用者が増大し、貧困がこんなに拡大してしまいました。

シーン3 家族解散宣言(コミック版p18)
 1993年、田村くんが中学二年のときに家族解散宣言が起こります。この頃から、グレーゾーン金利による消費者金融が貧しい人を狙って拡大していきます。「貧困ビジネス」といわれています。この年は自動契約機が導入された年でした。皆さんもよく知っている「ららら、ムジンくん」「どうするアイフル」です。田村くんのお父さんも多重債務者になっていたのかもしれません。現在では多重債務者は約200万人と言われています。

不公平なイスとりゲーム

「不公平なイスとりゲーム」の進行マニュアルが欲しいとの問い合わせがあったので、掲載します。
 
無断転載はやめてください。実践されたら、是非ご報告ください。
解説
 「イスとりゲーム」は野宿者ネットワークの生田氏が野宿者を産む構造として説明に使っている。(http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/poverty.htm)(「不公平をなくせば」の説明は生田氏によるものから引用)
 しかし、「仕事に就く」というゲームに参加する段階で、明らかに不利な人々がいる。その要素を入れて「不公平なイスとりゲーム」を作成した。

不公平な「イスとりゲーム」進行マニュアル
①AチームとBチームに分ける(今回はAチーム15人 Bチーム10人)
②イス20を置くが、10はA(Aと書いた紙を座席におくだけ)で残りの10はフリー
③ルール説明
 それぞれのチームの人にルールを書いた説明文を渡す
★Aチームの人のルール(説明文)
 1)どのイスに座ってもいいです。
2)座れなくてももう一度だけゲームには参加できます。
秘密のルール
3)司会者が「Aチームの方頑張って下さい」と言って5秒後に音楽がとまります。「Bチーム頑張って下さい」と言っても音楽はとまりません。
 このことはBチームの人には知られないようにしてください。

★Bチームの人のルール
1)Aのイスには座れません。
2)一度座れなかった人はもうゲームには参加できません

④ゲームスタート(音楽をかける)
 司会は秘密のルールに気付かれないようにいろんな声を全体にかける
 「はい、みなさん回ってくださいよー」「座れた人には冷たいお茶がありますよー」
 「皆さん頑張って」「Bチーム頑張ってください」「Aチーム頑張ってください」
・音楽ストップ(秘密のルールどおり、5秒後に止める。司会が音楽を止めてもいいが助手がいたほうが楽)
 一回目にイスに座れた人にはお茶をあげる。
・Aチームで座れなかった人にはもう一度ゲームに参加できることを全体に伝え、今度は頑張ってくださいと伝える。(1回目ではAは全員座れるかも)
・Bチームの人には座れなかった人には「残念でした」と冷たく言い、もうゲームには参加できないことを伝える。
⑤イスの数を減らして再スタートする(A8 フリー6)
・イスに座れた人にはお茶(今度はお菓子でもいいかも)
・Aチームで2回続けて座れなかった人はこれで終わりであることを伝える。
・Aチームで初めて座れなかった人はもう1回参加できることを伝える
・Bチームの人で座れなかった人にはお疲れ様と言ってもう参加できないことを伝える。
・Bチームで座れた人には「不利な中でよく頑張っていますね~」と拍手する
⑥最後のゲームであることを全員に伝えてゲームをする(A6 フリー2)
 最後まで座れた人には最高の賛辞を与える。
 (会場の雰囲気をみて、お茶を飲みたい人は誰にでもお茶をあげる)
⑦ゲームが終わったら、まずBチームの人からゲームの感想を聞く。
 感想のポイントを司会者が書き留める(特にどんな不公平感を感じたかをひきだす)
今回でた意見は
 「1回目、Bチームは必死でイスをとりあっているのにAチームはゆうゆうと残ったAのイスに座った人がいた」
 「Aチームの人はどの席でも座れるのにフリーの席に座った人には腹が立った」
  (Aの人に聞くと、そんなこと意識していない。近い席に座っただけ)
 「Bチームで不利だと思って、初めからやる気がでなかった」
 「2回目、フリーの席がどんどん減ってちょっと待ってと思った」
 「少ないフリーの席を不利なBチームの人同士で争うのが悲しかった」など
⑧次に、Aチームの人の感想を聞く
 感想のポイントを司会者が書き留める(特に何が有利だったかをひきだす)
 「やっぱり秘密のルールが助かった。」
  Bチームの人に何か気付いたかを聞く。Bチームの人は「何よそれ」と怒りぎみ
  実はAチームの人だけ「5秒後・・」のことを知っていたことを伝える
⑨振り返り
 ・この「イス」は世の中で言うと何を象徴しているかを参加者に聞く
 今回はいろいろな意見がでたが「仕事」と参加者が言った時点で、司会者もそう思ってこれを作りましたと答えた。「正規雇用」としてもいい。
 ・不公平・有利のポイントを確認して、何を象徴しているのかを考える
  座れるイスと座れないイス
  再チャレンジできる人とできない人
  イスの減らし方(減ったイスはどこに行ったか?)
   仕事と考えると特にフリーのイスを減らしていったのは、企業の多国籍化に伴い、安い人件費を求めて製造業の仕事は途上国に移転されていると考えた。(今回は拍手をもらいました。)
  情報をもっている人ともっていな人
 ・世の中でどんな人たちがBチームに入るかを考える
   年齢 性別 学歴 保証人 住民票 残業が可能か (国籍 出生地)等
⑩どうすればみんながイスに座れるようになるのかを考える
 ・誰もが再チャレンジできるって?
  セイフティネット(社会保険等の社会保障)マイクロクレジット 
 ・どうすれば不公平を減らせる?
 ・不公平をなくすだけで問題は解決する?
  「イスを増やせばいい」「それってどういうこと?」
  → 仕事を増やす 景気の改善 起業 公的就労 フェアトレード  
    例えば、ビッグイッシューはホームレスのための仕事づくり
    フェアトレードはバングラデシュ農村の女性の仕事づくり
 ・イスが増えないなら、イスを分け合えばどうかな?
  → ワークシェアリング

(⑪最後にもう一度、全員が座れるようにゲームをしてもいい)

補足
 グループを3つに分けて、条件はAと同じだが「秘密のルール」だけ知らせれていないとしてもいい。
 

「野宿者」と「ストリートチルドレン」を繋ぐワークショップ

 JICA大阪主催の国際教育セミナーの分科会「ほっとけない世界の貧しさ・日本の貧しさ」で「野宿者」と「ストリートチルドレン」を繋ぐワークショップを行ないました。その報告をします。

①それぞれの「Home」について考えるワーク
 ホームレスはHomeをなくした状態だから、まずはHomeについての共有が必要だと思いました。導入に、絢香の「おかえり」の歌詞を使って、曲をかけている間に考えてもらいました。参加者には曲が時間管理や気持ちの導入になったようでよかったです。
「♪ 探して なくした 心の傷が 立ち向かう 強さに変われたのは「おかえり」があったから おかえり I’m home 一言で満たされる心 おかえり sweet home 帰る場所 愛をありがとう ♪」
 今の「家」がしんどい人もいるので、あえてHomeという語を使ったのと、「こうあって欲しいHome」でもいいとしました。ホームレスとはそんな大切な場所がなくなる状態であることを確認しました。

②ホームレスの定義を考えるワーク
 日本・ドイツ・イギリスにおける「法的」な定義の比較をしました。日本の定義がいかに限定的かを紹介し、ホームレスの定義を広げて考えるとどんな人たちもホームレスなのかを考えました。そして、私の定義として国際人権規約・住居の権利を奪われた状態をホームレスといい、特に子どもの権利条約で謳われている「最善の利益」を確保されなければならない子どもでこの権利を奪われているのが「ストリートチルドレン」と紹介しました。

③いろんなホームレスを考えるワーク
 ②で広がったホームレスの概念から「野宿者」「ストリートチルドレン」「被災者」「難民」を選びだし、生活・原因・直前の姿・支援を比較しました。時間がなかったので、被災者は小学校の体育館や公民館などのパブリックな場所が用意されるのが当たり前なのに、野宿者はどうして公園から追い出されるのかという野宿者の支援者の声(生田さん)を紹介しておきました。「難民」「野宿者」ってどんな生活してるのかな?と知らないってことを確認できるワークにもなると思います。「直前の姿」はセイフティネットを考えるのにも役立つと思い入れました。

④反貧困の視点で「ホームレス中学生」を教材に!
 コミック版から10のシーンを抜き出し、その当時の時代背景を考え、現在につながる「リストラ」「消費者金融」の説明から父親が追い込まれていく様子を「野宿者」に合わせて、またひとりで公園生活を始めた田村くんの気持ちや生活を「ストリートチルドレン」の気持ちとあわせて紹介しました。「里親」「児童相談所」「生活保護」と日本社会がもつセイフティーネットとその問題点を紹介しました。ドラマや映画を観てから漫画の10のシーンを時系列に並べるワークもできるのではと話しました。しかし、一昨日の女子大では3分の1の生徒が読んでいたのに昨日の先生方はほとんど読んでおらず、説明に時間がかかってしまいました。

⑤ストリートチルドレンのパネルから考えるワーク
 シャプラニール市民による海外協力の会がダッカのストリートチルドレン100人からインタビューし、作成したパネルから「どんな仕事をしているか」「嬉しかったこと悲しかったことは何か?」を考えるワークをしました。今回は各班に男の子と女の子の1枚ずつ配り、その比較もしました。ストリートチルドレンの語る言葉の重みを感じるワークとなりました。

⑥ストリートチルドレンと野宿者の生活の紹介
 ストリートチルドレンの生活にについてはシャプラニールの駐在員の報告に、野宿者とつながるようなことを少し付け加えました。基本的には路上生活者という意味では生活はほんとに似ているとあらためて感じました。野宿者も空き缶集めや廃品回収を夜中から夜明けにかけてしていたり、さまざまな危険・暴力と隣り合わせでいることえを紹介しました。特に野宿者への襲撃が後を絶たないことを、夜回り活動している子どもの作文と野宿者を死に至らせてしまった青年がいじめられていた頃の自分を許せなかったからかもしれないと話したことを北村年子さんの本から紹介しました。

⑦ストリートチルドレンと野宿者の背景
 都市への流入だけでなく、両親の死去や離婚・暴力などが要因となってストリートチルドレンになり、その背景にはジェンダーの問題があると説明しました。(詳しくは www.bd.emb-japan.go.jp/jp/bdmodel/ doc/050922presentation2.doc )そして、N高校の生徒の感想文を二つ紹介し、日本とも共通する問題なんだと説明しました。

⑧不公平なイスとりゲーム!!
 野宿者ネットワークの生田さんが実践されている「イスとりゲーム」からヒントをもらい、作成しました。
 これが大盛り上がりで、ゲームの後の振り返りでいろんな意見が出て、気づきがありました。自分で考えてときながらなんですが、あらためてワークショップの可能性を感じました。
1.参加者をAチームとBチームに分ける。(今回はA15人B10人)
2.それぞれのルールカードを配る。Bには「Aと書かれたイスには座ってはいけない」Aには「どの席に座ってもいい 1 回座れなくてももう1回参加できる Aチームがんばってくださいと司会が言うと5秒後に音楽とまる(これBには秘密)
3.はじめはイスの数20(うちAと書かれたイス10)ゲームスタート 座れた人にはお茶サービス
4.次はイスの数14(うちA8)ゲームスタート
5.最後イス8(うちA6)ゲームスタート

■振り返り イスは何を象徴しているか 何が不公平だと感じましたか?と聞くとBチームからいろいろと意見がでました。「Bは必死でイスを取り合っているのに、Aの人は残ったイスにゆうゆうと座った人がいる」「どうしてAの人は、どのイスでも座れるのにわざわざAと書いてないイスに座る人がいるのか(Aの人に聞くと、そんなこと意識していない、近くのイスに座っただけ」「Bは少ないイスをBどうして取り合って悲しかった」「ただでさえ少ないBの座れるイスをどんどん減らすのはどうして」「Bチームでどうせ座れないと思ってはじめからやる気がでなかった」などなどAの人に何が有利だったかを聞くと「秘密のルールがとても役立った」するとBの人がまた「なによ、それ」という感じでした。情報をもっているかどうかはかなり決定的。イスを仕事と考えると、減ったイスが企業が多国籍化する中で人件費の安い途上国に仕事が移っている。グローバリズムの中で減ったイスは途上国に行ったのですと答えると一同拍手!どんな人たちがBチームに入るでしょうと問いかけて終わりました。

⑨カフカの階段(野宿者ネットワーク・生田氏作)の説明
 野宿者に転落していく構造をイラストで説明。階段を落ちていくときは一段ずつ理由があって落ちていくが、元にもどろうとすると高い壁を一気にかけあがろうとするようなもの。壁を登れるように壁に段差をいれなくてはいけない。それが支援するということ。これはストリートチルドレンへの支援と同じではないかと話しました。

⑩ストリートチルドレンのプロジェクト
 もう時間がなくなったのでパワポのページを飛ばして「ストリートチルドレンへ段階的支援」と題して、さきほどの反対に階段を一段づつ上るために「信頼できる大人との出会い・安全な場所、財産の管理、支えあう仲間との出会い、職業訓練」と説明しました。しかし、「あくまで子ども主体の支援を」とつけ加え、給食プログラムの例をあげました。これは野宿者支援も同じで、野宿者主体の支援をしないと野宿者に受け入れられないのではとまとめました。

⑪まとめとして「日本でできること」
 野宿者を作らないセイフティーネットの強化・産み出す構造を政策的に解決・さまざまな支援・グローバルな社会構造の把握・グローカルな支援活動
 学校に野宿者をよんで交流している例も紹介しました。「炊き出し」に参加しているシャプラニール関西の学生にもコメントを聞きました。とてもよかったです。「ホームレス問題の授業づくり全国ネットワーク」も紹介しておきました。

⑫毛糸で考えよう!は準備していきましたがタイムオーバーでした。どうやってやるのか何人かの先生に質問されました。また、みんなでいっしょにやりましょう。D.セルビーの考えたワークですが、これを「野宿者」「ストリートチルドレン」「ジェンダー」「農村の貧困」「環境破壊」「難民」等の項目でやるとどのように繋がりが見えてくるかをやろうと思いました。また、いつかやってみようと思います。

以上、報告終わりです。

 もう少しグローバリズムの話を付け加えればよかったと思いますが、これは今後の課題かなと思います。野宿者とストリートチルドレンを繋ぐ、ひとつのパターンはできたかなと思います。これを土台にもっとめりはりつければいいと思います。

N警察署前

今日、仕事の帰りにN警察署前を通った。

金曜の夜から始まった労働者による抗議行動はまだ続いていた。

しかし、警察署へのモノの投げ入れ等の行為は少しは見受けられたが、ほんとんどなくマイクでの抗議行動が主だった。

何度もマイクをもったおっちゃん(有名な人なのかな?)が、金曜の夜の抗議行動時に、機動隊がある労働者の顔面に放水し、その労働者の片目に重大な怪我を負わせ、現在入院中であることを繰り返し訴えていた。

「放水」という武器がいつからどのように日本で使われるようになったのだろうか?海外でこの「武器」は市民に対して使われているのだろうか?

この武器による「攻撃」は合法的なだろうか?

新聞では200名の労働者による抗議行動とされているが、もっといると思う。

この釜ヶ崎での怒りを産む要因が現在、日本国中に広まっている。

政府は「日雇い派遣」を原則禁止するというが、それなら釜ヶ崎の現実を何十年も放置してきたのはどう説明するのだろうか?

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